真田幸村(信繁)は父の昌幸(草刈正雄)・兄の信之(大泉洋)と共に武田信玄配下の家臣でした。もともとは信濃国小県郡の豪族でしたが、真田幸村の祖父・真田幸隆の時代に武田信玄に帰属しました。

 

 

父の昌幸は三男であったため、帰属当初は人質として武田信玄の元に送られました。しかし、武田信玄は昌幸の才能を「我が眼」と評するまで愛し、武田一族の武藤家の養子となりました。

 

 

養子となった昌幸は信玄直属の足軽大将として数多くの戦で活躍しました。信玄死後も武田勝頼(平岳大)に仕えていましたが、長篠の戦で長男と次男が戦死すると真田家に請われ、昌幸は真田家に戻り家名を継ぎました。

 

 

直接的な関係は真田幸村と武田信玄にはない?

 

 

その時、兄の信之と共に幸村も真田家に戻りました。真田幸村の生年は1567年で武田信玄が亡くなった年が1573年です。武田信玄が亡くなった時、真田幸村は6歳頃で信玄に直接仕えることはありません。

 

 

実際に主従関係にあったのは、父の昌幸と祖父の幸隆ですが、父・昌幸が武田信玄の近くにいたため、幼少ながらも武田信玄の考え方を肌で感じ取っていたとも考えられています。

 

 

信玄配下の幸村のエピソードの大部分が、父・昌幸のエピソードか架空の創作話です。信頼する配下の武将の子として、 赤子の幸村を信玄が抱き、その将来を期待したという逸話があります。

 

 

江戸時代には流行した真田三代記に端を発する講談話が語られる時に盛り込まれた創作とも言われていますが、幸村の関ヶ原以降の戦場での戦い方を軍神と言われた武田信玄と重ね合わせる情も十分に理解することができます。

 

 

真田幸村の本名は真田信繁!

 
幸村の本名は真田信繁です。この名前は川中島の戦いで亡くなった信玄の弟の武田信繁から取った名前です。兄をかばって戦死した弟の名を兄信玄から許可を得て付けられています。

 

 

2016年に放送されている大河ドラマ「真田丸」では、幸村の名前をつかわず、信繁でやっていますよね。また徳川家康(内野聖陽)が本陣を失ったり攻め込まれたのは、武田信玄と戦った三方ケ原の戦と真田幸村に本陣まで攻め込まれた大坂夏の陣の2回です。

 

 

家康が恐れた武将の二人の縁を結び付けようとする校正の懇談者たちの意図も汲み取ることができます。江戸時代に真田家を継いだ兄の信之に、「幸村こそ国を支配する本当の侍だ。我らは見かけを必死に繕い肩をいからした道具持ちだ。それ程の差がある」

 

 

と言わしめた英雄ぶりは武田信玄に通じるものがあります。なので、いずれも歴史の中で名武将であったことは間違いないでしょう。